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東西で大きく異なる「古墳」の存在

目次

 

国内第2位ながら世界的な大きさを誇る誉田(こんだ)御廟山古墳

2019年7月11日付けの本コラムで、大阪の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が世界遺産に登録されたこと、また百舌鳥古墳群の一つ、堺市にある全長525m余り(外濠を除く)の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)がエジプト「クフ王のピラミッド」(全長230m)や中国「秦始皇帝陵」(全長350m)を遥かに凌ぐ大きさであることを紹介しました。その大仙陵古墳に次いで国内第2位の大きさを誇るのが、古市古墳群の一つ、羽曳野市にある誉田御廟山古墳です(写真上=羽曳野市議会の外壁に貼られた誉田御廟山古墳のポスター)。その全長は425m。大仙陵古墳より100mほど短いとはいえ(表面積や体積では大仙陵古墳を上回る)、これまたワールドクラスの大きさと言えるでしょう。

江戸時代は古墳頂部の六角堂で一般庶民も参拝

誉田御廟山古墳は、5世紀初頭の築造と推定される前方後円墳で、被葬者は未確定ですが、宮内庁により惠我藻伏崗陵(えがもふしのおかのみささぎ)として第15代・応神天皇の陵として治定されています。外観全体は樹木に覆われていますが、墳丘は三段構成で、その平坦部と内堤・外堤には推定2万本以上の円筒埴輪が巡らされていて、中には口径50㎝、高さ1m超の大型のものもあるとのことです。墳丘内部は未調査のため不明ですが、竪穴式石槨と長持形石棺が納められていると考えられています。現在の拝所は前方部の正面(北側)にありますが、幕末期・文久年間(1861~3)の修築以前は、後円部の頂に六角形の仏堂(日本最古の八幡宮、誉田八幡宮の奥の院)があり、一般庶民も石段を上って参拝していたそうです。そのようすは享和元(1801)年刊行『河内名所図会』に「應神天皇陵」として描かれています。ここにも日本古来の神祇信仰(神道)と日本仏教が融合した神仏習合のようすがうかがえます。

日常風景の一部として存在する関西の古墳

関西方面には出張や観光で何度も訪れていますが、毎回思うのは、関東に比べて古墳が多いことです。しかも、その多くが住宅街に溶け込むように存在します。近隣住民にとって、それは日常風景の一部で、特に意識することはないのかも知れませんが、古代より死者が手厚く葬られてきたことを無意識ながら学ぶ機会となっているようです。それを意識することは、現代のお墓づくりでも大切なことだと思います。