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世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」に学ぶ

目次

世界四大文明より古い縄文草創期

青森市の三内丸山さんないまるやま遺跡や秋田県鹿角かづの市の大湯環状列石(上写真)など、北海道と青森・岩手・秋田の3県に点在する17遺跡「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコの世界文化遺産に正式登録されました。国内の文化遺産は20件目で、紀元前の遺跡は初めてとなります。縄文時代は日本特有の時代区分で、一般的に旧石器時代が終わる約15,000年前から、弥生時代が始まる約2,400年前までとされますが(諸説あり)、その始まりは、俗にいう世界四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・中国)よりも古く、日本最古の土器が発見された大平山元遺跡(青森・外ヶ浜町)が約15,000年前の縄文草創期とされるので、フランスの有名なラスコー洞窟の壁画(世界遺産)に匹敵する価値ある世界遺産と言えるでしょう(世界最古の洞窟壁画はフランスの約36,000年前のもの)。

平和な暮らしが1万年以上続いた縄文時代

縄文時代という一つの時代が(世界的にも類を見ない)1万年以上長く続いた理由の一つとして、大きな争いがなく(遺跡に防御施設がなく、武器なども見つかっていない)、平和な暮らしをしていたことが挙げられます。当時の人々は、狩猟や漁労、木の実や果物を採集しながら1ヵ所に定住する生活を送っていましたが、そこに大きな貧富や身分の差などはなかったそうです。しかも、人が病気やケガをすると看病・治療し、亡くなるとお墓(土器棺や土壙墓どこうぼ、共同墓地など)をつくって丁重に葬ほうむっていたことが分かっています(稲作が広まった弥生時代には、支配階級や貧富の差が生まれ、殺人もあった)。

長い年月と労力が費やされた大湯環状列石

葬送や祭祀に関わる遺構と見られる大湯環状列石には、実に7,200以上の緑色の石が使われています。石の重さは一つ当たり数~30㎏、最大で200㎏以上ありますが、その石は遺跡から約7㎞離れた安久谷川から運ばれたものなのです。現代のような運搬具や乗り物のなかった時代に、どれだけの労力と時間、年数が使われたことでしょう。当時の人々がどのような考え(先祖観や死生観)でこの施設をつくったのか分かりませんが、そこには命の再生を切に願う気持ちと、死者に対する敬意や愛情が感じられます。今年もコロナ禍でお盆を迎えます。お墓参りが可能な方は平和な生活が送れるようお祈りしましょう。