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2024.03.29

初代・神武天皇より古い陵墓は存在するのか

目次

愛子さま、お一人で伊勢神宮と神武天皇陵を参拝

天皇・皇后両陛下の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが、去る3月26日に三重県伊勢市の伊勢神宮を訪問され、翌27日は奈良県橿原市の神武天皇陵(写真上)を訪問されました。伊勢神宮は、神社本庁の本宗(全ての神社の上に立つ神社、日本国民の総氏神)で、神武天皇陵は日本国を建国した伝説上の人物として日本神話(『古事記』『日本書紀』=記紀)に登場する初代天皇・神武天皇の陵墓であり、皇室では人生の節目に参拝することが慣例となっています。愛子さまは今春、学習院大学文学部を卒業され、4月から日本赤十字社に就職することが決まっており、その報告を兼ねての参拝となりました。

神武天皇陵より古い「神代三陵」とは

なお、神武天皇の前にも「地神五代」と呼ばれる、天照大神(あまてらすおおかみ)を皇祖神(主宰神)とする5柱の神々が存在します。まず、神武天皇の父が鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、祖父が彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、曾祖父が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)で、それぞれの陵墓も鹿児島県内に存在します。それぞれ順に「吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)」=鹿屋市吾平町、「高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)」=霧島市溝辺町麓、「可愛山陵(えのみささぎ)」=薩摩川内市宮内町、という陵名が付いており、これら「神代三陵(かみよさんりょう)」は宮内省によって1874(明治7)年に治定されています(ただし『日本書紀』の内容から推察すると、本来の神代三陵の場所は、宮崎県日南市の鵜戸神宮周辺とする有力な説があり、その陵墓も関連陵墓参考地となっている)。

三姉弟の長女だった天照大神の家族構成

さらに遡ると、地神五代の2代目が神武天皇の高祖父、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)で、その前(初代)が天照大神となりますが、これら2柱の神々の陵墓の存在については明らかになっていません(昨年7月18日付けの本コラムで「三種の神器」の一つ、八咫鏡が天照大神の御神体として安置されていることを採り上げた)。ちなみに、『古事記』の天皇系図をもとに補足すると、天照大神の父はイザナギ(伊邪那岐神)で、母がイザナミ(伊弉冉尊)。弟の一人はツクヨミ(月読命)、もう一人がスサノオ(素戔嗚尊)で、スサノオは天照大神の契約上の夫となっています。各地の陵墓、神社を訪問する際は、こうした皇族の歴史を頭に入れて参拝されると面白いでしょう(2019年11月25日付けの本コラム「御陵印」参照)