本高山 城立寺(椿墓苑)
じょうりゅうじ つばきぼえん
物件情報
Property information
寺院の由来
当寺は、本高山と号し千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺で、開基は元和二年(1616年)といわれています。
境内にある鬼子母神堂には、伝教大師の作と伝えられる鬼子母神像が祀られています。
昔、春江町付近は椿の群生地で、ここ城立寺にはその原木があったと伝えられています。
そして、現在では椿村、椿町と続いた地名も無くなり、僅かに通りの名前などで残っている程度です。
椿墓苑には昔の名残りを少しでも伝えたいという、当山院首の願いが込められた、心やすまる、あたたかな墓苑です。
石造釈迦如来坐像(江戸川区 有形文化財)
寛文三年(1663年)大工三左衛門の作で、台座を含め三メートル余りある一石丸彫りの区内で最も大きな石造仏です
台座の銘文によると、田島家の八郎兵衛尉重信が祖先の菩提と一切衆生の利益のために造立、寄進したとあります
当寺は、本高山と号し千葉県松戸市平賀にある本土寺の末寺で、開基は元和二年(1616年)といわれています。
境内にある鬼子母神堂には、伝教大師の作と伝えられる鬼子母神像が祀られています。
昔、春江町付近は椿の群生地で、ここ城立寺にはその原木があったと伝えられています。
そして、現在では椿村、椿町と続いた地名も無くなり、僅かに通りの名前などで残っている程度です。
椿墓苑には昔の名残りを少しでも伝えたいという、当山院首の願いが込められた、心やすまる、あたたかな墓苑です。
石造釈迦如来坐像(江戸川区 有形文化財)
寛文三年(1663年)大工三左衛門の作で、台座を含め三メートル余りある一石丸彫りの区内で最も大きな石造仏です
台座の銘文によると、田島家の八郎兵衛尉重信が祖先の菩提と一切衆生の利益のために造立、寄進したとあります