松江 東善寺 墓苑
とうぜんじぼえん
物件情報
Property information
寺院の由来
当山は、当初薬王院明王山東斬寺と号し、本尊は慈覚大師の遺作と伝えられた不動明王であったが、天明時代の頃より阿弥陀如来を本尊として現在に至っている。開山の正確な年代は不明であるが、天正二年(1574年)に入寂された賢重法印によって開基せられ、中興開山は龍範、天明六年(1786年)寂である。
江戸時代には南葛飾郡西領の名主集会所にあてられ、毎年田植えの水利などが決められていた。また、黒船襲来の折には寺の半鐘を打ち、各村の村民を集めて下総守より沙汰があったと名主屋敷田島家の文献に記されている。
山門には「興教大師 ・ 四国三十一番 土州五台山写 東善寺」と標石が立ち、寛政四年(1792年)と刻まれている。これは、真言宗中興の祖といわれる興教大師の六百五十遠忌にちなみ建てられていることから、当時、松江村地域にての信仰への深さがうかがえる。ちなみに、本家四国三十一番札所は、行基により唐の五台山になぞらえて開創された竹林寺をさしている。
溶け地蔵 昭和二十年三月十日、アメリカ空軍B29の大編隊が投下した油脂焼夷弾の業火を無言で物語っている。
子育て観音 昭和五十五年に建立される。
宝匡印塔 享和二年(1802年)建立。
近年は交通の要所、船堀街道に面し松江銀座商店街の中心に位置、地域社会の諸活動に利用されている。なかでも、江戸川の夏の風物詩となった『松江銀座あさがお市』は例年大勢の来場者で溢れかえる。
当山は、当初薬王院明王山東斬寺と号し、本尊は慈覚大師の遺作と伝えられた不動明王であったが、天明時代の頃より阿弥陀如来を本尊として現在に至っている。開山の正確な年代は不明であるが、天正二年(1574年)に入寂された賢重法印によって開基せられ、中興開山は龍範、天明六年(1786年)寂である。
江戸時代には南葛飾郡西領の名主集会所にあてられ、毎年田植えの水利などが決められていた。また、黒船襲来の折には寺の半鐘を打ち、各村の村民を集めて下総守より沙汰があったと名主屋敷田島家の文献に記されている。
山門には「興教大師 ・ 四国三十一番 土州五台山写 東善寺」と標石が立ち、寛政四年(1792年)と刻まれている。これは、真言宗中興の祖といわれる興教大師の六百五十遠忌にちなみ建てられていることから、当時、松江村地域にての信仰への深さがうかがえる。ちなみに、本家四国三十一番札所は、行基により唐の五台山になぞらえて開創された竹林寺をさしている。
溶け地蔵 昭和二十年三月十日、アメリカ空軍B29の大編隊が投下した油脂焼夷弾の業火を無言で物語っている。
子育て観音 昭和五十五年に建立される。
宝匡印塔 享和二年(1802年)建立。
近年は交通の要所、船堀街道に面し松江銀座商店街の中心に位置、地域社会の諸活動に利用されている。なかでも、江戸川の夏の風物詩となった『松江銀座あさがお市』は例年大勢の来場者で溢れかえる。