弘誓山 徳正寺
ぐぜいざん とくしょうじ
物件情報
Property information
寺院の由来
総本山は天台宗比叡山延暦寺、元浅草寺末弘誓山と号す。永正十年今より500年前の起立開山を詳にせず。第104代後柏原天皇の御代にして、我国戦国時代の初期足利氏の衰世の時代である。中興は存慶法印と云い、寛文六年九月二十一日寂。宝暦年間には、本堂、観音堂、不動堂、えん魔堂、神明宮、弁天堂が有り近世江戸第32番観音札所であった。
幾多の盛衰変遷が有り、大正大震災の厄にあい、現在の墨田区業平より区画整理の為現在地に昭和二年移転。其の後昭和五十三年第39世廣文に依り本堂の修理、客殿庫裏を新築現在に至る。
総本山は天台宗比叡山延暦寺、元浅草寺末弘誓山と号す。永正十年今より500年前の起立開山を詳にせず。第104代後柏原天皇の御代にして、我国戦国時代の初期足利氏の衰世の時代である。中興は存慶法印と云い、寛文六年九月二十一日寂。宝暦年間には、本堂、観音堂、不動堂、えん魔堂、神明宮、弁天堂が有り近世江戸第32番観音札所であった。
幾多の盛衰変遷が有り、大正大震災の厄にあい、現在の墨田区業平より区画整理の為現在地に昭和二年移転。其の後昭和五十三年第39世廣文に依り本堂の修理、客殿庫裏を新築現在に至る。