命帰山 長延寺
ちょうえんじ
物件情報
Property information
寺院の由来
当山の開基、玄栄法師は武蔵野国小机城に生れ、小机城落城後、大阪石山本願寺に入陣する。
天正八年(1580年)、石山合戦も顕如上人(本願寺第十一世)と織田信長の和睦をもって終結後、
法師はその功績により蓮如上人御真筆の六字名号を下府され、故郷都築郡吉田村(現在の港北区新吉田村町)に帰り、草庵を営み、長延寺の開基となりました。
元和六年(1620年)、神奈川宿の一隅に一宇を建立し長延寺の礎がここに定まります。
神奈川宿の繁栄とともに、荘厳さを増してまいりましたが、
第二次世界大戦に於る横浜大空襲にて殆どを焼失し又、国道十五号線の拡張により、
三百五十有余年の長きにわたり一宇を有した神奈川を離れ、
昭和四十年、三保の地へ遷山いたし、現在に至っています。
当山の開基、玄栄法師は武蔵野国小机城に生れ、小机城落城後、大阪石山本願寺に入陣する。
天正八年(1580年)、石山合戦も顕如上人(本願寺第十一世)と織田信長の和睦をもって終結後、
法師はその功績により蓮如上人御真筆の六字名号を下府され、故郷都築郡吉田村(現在の港北区新吉田村町)に帰り、草庵を営み、長延寺の開基となりました。
元和六年(1620年)、神奈川宿の一隅に一宇を建立し長延寺の礎がここに定まります。
神奈川宿の繁栄とともに、荘厳さを増してまいりましたが、
第二次世界大戦に於る横浜大空襲にて殆どを焼失し又、国道十五号線の拡張により、
三百五十有余年の長きにわたり一宇を有した神奈川を離れ、
昭和四十年、三保の地へ遷山いたし、現在に至っています。