長線寺
ちょうせんじ
物件情報
Property information
■古くは「六道の道」の中心として、地域信仰の拠点となってきた寺院。
長線寺は、応永20(1414)年、古川市李埣の富光寺4世越堂祖超大和尚の開山で、現在地より南の地域に建立されていました。当時は、周辺は葦の原でしたが、長線寺を起点にして、「六道の道」と呼ばれるように道が六方向に延び、地域の拠点的な存在ともなっていました。一時は、西の安国寺、東の長線寺といわれるほどの隆盛を誇っていたといわれています。しかし、時の有力者の没落や、2度の火災による焼失で、現在地に移築されるとともに、住職が途切れるなどして、しばらくは衰退していました。時を経て、29世無蓋倫峰大和尚の代になり、本堂、庫裏、開山堂兼位牌堂、会館が整備され、地域と一体になったお寺として信仰を集め、今に至ります。
■地域貢献の思いで会館を開設。
会館は、「地域の人々に貢献したい」との思いで、設立当時から無料で開放され(現在は1日1万円)、周辺農家の葬儀や法要の場などに利用されてきました。また、お盆にはご先祖様を灯篭でお迎えする「百灯篭」や花火の打ち上げ、座禅会などが行われ、地域のふれあいの拠点となっています。
長線寺は、応永20(1414)年、古川市李埣の富光寺4世越堂祖超大和尚の開山で、現在地より南の地域に建立されていました。当時は、周辺は葦の原でしたが、長線寺を起点にして、「六道の道」と呼ばれるように道が六方向に延び、地域の拠点的な存在ともなっていました。一時は、西の安国寺、東の長線寺といわれるほどの隆盛を誇っていたといわれています。しかし、時の有力者の没落や、2度の火災による焼失で、現在地に移築されるとともに、住職が途切れるなどして、しばらくは衰退していました。時を経て、29世無蓋倫峰大和尚の代になり、本堂、庫裏、開山堂兼位牌堂、会館が整備され、地域と一体になったお寺として信仰を集め、今に至ります。
■地域貢献の思いで会館を開設。
会館は、「地域の人々に貢献したい」との思いで、設立当時から無料で開放され(現在は1日1万円)、周辺農家の葬儀や法要の場などに利用されてきました。また、お盆にはご先祖様を灯篭でお迎えする「百灯篭」や花火の打ち上げ、座禅会などが行われ、地域のふれあいの拠点となっています。