2025.10.30
世界平和を希求する「無名戦士之墓」を訪ねて
目次
世界中に存在する「無名戦士の墓」
地球上の争いごとは、有史以前の昔から、おそらく人類誕生の頃からあったことでしょう。紛争や揉めごとの原因は、食糧や居住地の奪い合い、人種や宗教・政治に由来する衝突、愛情・人間関係のもつれ(逆恨みや仲間割れ)、利権争いなど様々ですが、国家レベルの歴史的な戦争では、戦死者の遺骨はあるものの身元不明だったり、遺骨や遺品すら見つかっていないケースも少なからずあるようです。そうした兵士の遺骨や遺品などを埋葬したお墓や慰霊施設、記念碑などは「無名戦士の墓」と呼ばれており、欧米・中東・アジアなど世界中に存在します。たとえば、イギリスのウェストミンスター寺院やフランスのシャルル・ド・ゴール広場(エトワール凱旋門の下)、アメリカのアーリントン国立墓地などが広く知られています。日本では靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑(ともに東京都千代田区)が有名で、大平和祈念塔(大阪府富田林市)や霊山観音(京都市東山区)も含まれますが、もう一つ、その名もズバリ「世界無名戦士之墓」が埼玉県越生町にあります=写真上。
特定の宗教宗派に属さず、一切無名平等にお祀りする
この世界無名戦士之墓は、地元越生町の医師で県議会副議長(当時)を務めた長谷部秀邦氏の発願により、特定の宗教宗派に属さない「世界平和を希求する日本国民の意志を具現化した記念碑的建造物(霊廟)」として1954(昭和29)年に竣工しました(2020〔令和2〕年、国の登録有形文化財)。ここには第二次世界大戦の戦死者で、埼玉県庁の一室に安置されていた身元不明者及び引き取り手のない遺骨のほか、国内外で亡くなられた戦没者や(無名)戦死之霊の位牌、英霊名簿などが納められています。ここでいう「無名戦士」とは、身元不明ではなく、「位階を超越し、一切無名平等にお祀りする」という意味で命名されたということです。
毎年5月に戦没者追悼式を開催
場所は県道から横道に逸れた大観山の頂上にあり(※近くの県道沿いに案内表示らしきものは見当たらなかった)、眼下に街並みが広がる見晴らしの良い場所にありますが、あまり知られていないせいか(クマの出没を警戒してなのか)、参拝者はほとんどいませんでした。毎年5月の第2土曜日または日曜日に戦没者追悼式があり、慰霊式典や稚児行列、花火などの催しが行われるということなので、(開催日など確認の上)その日程に合わせて訪問されるとよいでしょう。
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