2025.09.22
「石好きで熱心な仏教徒」だった宮沢賢治のお墓へ
目次
門前の小僧より早く、わずか3歳で偈文を暗唱
岩手県花巻市の出身で、『雨ニモマケズ』『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』などの代表作で知られる宮沢賢治。父・政次郎は熱心な浄土真宗の門徒で、自費で花巻仏教会を作り、仏教講習会を毎年催すなど深く帰依していました。賢治が3歳の頃、父の姉が仏前で「正信偈」(浄土真宗の要義要綱をまとめた偈文で、親鸞の著書の末尾に所収されている)と「白骨の御文章」(蓮如が撰述した御文の一部「白骨」)を唱えるのを聞き覚え、賢治も一緒に暗唱していたそうです。また少年期の頃から鉱物採集に熱中し、岩手山や南昌山など盛岡周辺の山々を歩いて大量の岩石標本を作っていたことから、家族から「石コ賢さん」と呼ばれていました。後に首席で入学する盛岡高等農林学校は現在の岩手大学農学部になっており、同学部付属農業教育資料館には、賢治が在学中に採集した岩石や鉱物の標本が16点展示されています。なお賢治が同農林学校への受験勉強に励んでいた頃、島地大等訳『漢和対照 妙法蓮華経』を読み、その一文「如来寿量品」に体が震えるほどの感銘を受けたというエピソードも残っています。賢治は他に動植物や地質学、星座などにも精通していて、いかに博識であったか、岩手方面に行かれる方は「宮沢賢治記念館」(花巻市)や「石と賢治のミュージアム」(一関市)などをぜひお訪ねください。
賢治のお墓(五輪塔)は花巻市の身照寺に
そんな「石好きで熱心な仏教徒」だった宮沢賢治がどんなお墓に眠っているのか、岩手へ出張した際、ちょっと足を伸ばしてみました。お墓(シンプルな五輪塔=写真上)は、花巻市内にある身照寺(日蓮宗)にありました。賢治は昭和8年、急性肺炎で死去(享年37歳)し、宮沢家の菩提寺に埋葬されますが、その後、父親が日蓮宗に改宗し、縁のある同寺に宮沢家代々之墓と賢治の五輪塔を建立したそうです。
死後から90年以上続く追善供養
お墓とその周辺はキレイに整備されており、賢治のファンがお参りに来ることを想定しているのか、墓前にはベンチが置かれていました。何気なく塔婆に目を向けると、賢治の戒名に続いて「第92回忌追善供養」と書かれており、いまなお懇ろに供養されていることがわかります(通常は33回忌で弔い上げとなるが、日蓮宗では祭祀承継者がいなくなるまで続けることもあるという)。賢治の命日は9月21日。第93回忌追善供養も必ずや行なわれたことでしょう。