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戦後80年、両陛下「慰霊の旅」で硫黄島へ

上皇ご夫妻の在位中以来31年ぶりに硫黄島を訪問

天皇皇后両陛下が4月7日、小笠原諸島南部にある硫黄島(東京都小笠原村)に政府専用機で降り立ち、先の大戦(太平洋戦争)で犠牲となった戦没者の慰霊施設を訪問したことが各メディアによって報道されました。両陛下による訪問は、上皇ご夫妻が在位中の1994(平成27)年以来31年ぶり。両陛下が神妙な面持ちで慰霊施設に献水・献花し、鎮魂の祈りを捧げるシーンがとても印象的でした。戦後80年の節目を迎える今年は、沖縄・広島・長崎へ、そして7月には(両陛下として初となる)モンゴルへの訪問も検討されているということです。

建築家・谷口氏が遺骨箱をかたどった石碑などを設計

激戦地だった硫黄島には複数の慰霊施設がありますが、その一つ「硫黄島戦没者の碑」は、日本軍2万余名の霊を慰めるため、1971(昭和46)年に当時の厚生省によって建立されました。島内で最後に組織的戦闘が行なわれた天山壕の上にあり、「天山慰霊碑」とも呼ばれています。設計は著名な建築家・谷口吉郎氏によるもので、石碑はご遺骨を納める遺骨箱をかたどったもの(写真上※左上の画像は施設全体。小笠原村HPより)。覆屋の天窓から石碑に日光が降り注ぐ設計になっており、これは暗い地下壕の中で日光と飲料の雨水を激しく求めた戦士たちの心境を暗示したものとされます。他にも、軍属として徴用された島民の慰霊のため小笠原村が整備した「硫黄島島民平和祈念墓地公園」や、日米双方の戦没者を慰霊する都の施設「鎮魂の丘」などがあり、両陛下はこれらの慰霊施設を訪問されたということです。

戦後生まれの両陛下による「慰霊の旅」

硫黄島には戦争末期まで一般島民が暮らしていました。戦局の悪化で1944(昭和19)年に強制疎開、翌年の終戦後は米軍に占領され、1968(同43)年に日本政府へ返還されますが、その後も火山活動など(戦時下の残留地雷も多い)を理由として島民の帰還は認められず、自衛隊の管理下にあります。都主催で2016年まで約20年間続いた旅客船による墓参事業は、新型船の大型化と島の隆起により断念。厚労省の発表(2017年3月末)によると、硫黄島での戦没者概数は約21,900人。うち遺骨の帰還作業で10,400柱を収容するが、今も島内に推計11,500柱もの日本人戦没者の遺骨が残されているそうです。「行きたくても墓参できない」「(本土に)帰りたくても帰れない」――戦後80年、両陛下の「慰霊の旅」はこれからも続きます。