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著名人のお墓も存続が危ぶまれる時代に

目次

著名人のお墓が知らぬ間に更地の状態に…

今年6月25日付けの東京新聞ネット版に「都立霊園の著名人の墓が消えた!?」と題する記事が掲載されました。その著名人とは、明治・大正時代の劇作家、島村抱月(1871~1918)のことで、そのお墓が豊島区にある都立雑司ヶ谷霊園から消えたことを伝えていました(写真上は返還後更地になった墓地の資料画像)。抱月と一緒に活動した女優の親族が同霊園を訪ねると更地になっていたので、管理事務所に撤去の理由を尋ねたところ、個人情報のため教えてくれなかったそうです。その後の調査で、抱月のお墓は長らく三女が守っていたが、それを引き継いだ親族の女性も他界し、実家の島根県浜田市の浄光寺にも雑司ヶ谷から分骨したお墓があるため、墓じまいしたことが判明しました。その話を聞いて、浄光寺の前住職は「痕跡がなくなるのは寂しい。相談いただければ寺で引き取ったんですが…」と残念がったそうです。

墓じまいするも、復活を遂げた著名人のお墓も

一方、今年8月22日付けの朝日新聞は、理系女性研究者のパイオニアとして知られる丹下ウメ(1873~1955)のお墓が移築されたことを伝えていました。記事によると、丹下のお墓は、埼玉県新座市の平林寺にある親類の墓地内にありましたが、昨年夏に墓じまいしたところ、親族のほか丹下とゆかりのある大学や研究所などが「墓を残したい」と資金を集めて、移築することになったそうです。墓前で供養が執り行われた8月21日は、110年前に丹下らが日本初の女性大学生として東北帝国大学(現・東北大)に入学した日で、「女子大生の日」とされているということでした。

お墓を個人の力だけで守り続けることの難しさ

上記の両人はほぼ同年代といえますが、お墓をめぐる結末は対照的で、明と暗に大きく別れるものとなりました。たとえ著名人であっても、お墓を個人の力だけで守り続けることは難しいということです。著名人の名前や功績などは書物やネットなどに記録として残りますが、その存在を五感で受け止め、故人と対話し、実在していたことを実感できるのがお墓なのです。たとえ歴史に名を遺す著名人や有名人でなくても、ご先祖様はあなたの存在や現世に生を受けた事実を証明してくれるルーツでもあります。過去(ご先祖様)の延長線上に現在(自分)があり、その先の未来(子孫)へとつながっていきます。その大事な過去を見つめ、未来に向けて力強く生き抜くためにも、安易な判断で墓じまいはせず、できるだけ残してもらいたいものです。