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2025.12.01

「墓」の漢字とともに中国から伝わった大事なもの

目次

漢字の「墓」は3000年以上前に中国で誕生

今回は「墓」という漢字に注目したいと思います。漢字の「墓」は、中国で3000年以上前に生まれました。漢字を分解すると「土」と「莫(まく)」に分かれますが、莫は「覆い隠す」という意味なので、墓とは、死者を土で覆い隠す埋葬地となります。古代より中国には様々な埋葬法があり(身分によってお墓の高さと広さに決まりがあった)、それぞれ異なる漢字が使われました。中国の古典『設文』に、「冢(ちょう)」は高く盛り土した墓とありますが、盛り土したお墓は他にも、小高い墓を意味する「塚」、広くて高い墓「墳」、土饅頭を意味する「丘」、かがり火を焚く大きな墓「塋(えい)」などがあります。別の古典『周礼(しゅらい)』には、「庶民は盛り土をせず、樹木を植えないので、冢とはいわず墓という」とあります。また、庶民とは別格ともいえる皇帝(天子)のお墓は、「山」「陵」「山陵」と呼ばれていました。

中国から日本へ意味を変えずに伝来

その中国文化を採り入れた古代日本でも、お墓を呼び分けていました。江戸時代に編纂され、明治期にかけて刊行された国語辞書『和訓栞(わくんのしおり)』には、平らなるを「墓」といい、盛り土を「冢」といい、高きを「墳」という、とあり、その意味がそのまま中国から伝わったことが分かります。前述の陵と山陵はどちらも「みささぎ」と読みますが、平安初期に編纂された勅撰史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、天皇・皇后・皇太后のお墓の名称は740年に「山陵」と定められました。余談ですが、日本独自のお墓の名称に「奥津城」があります。文献上の初見は、日本に現存する最古の和歌集『万葉集』(三・挽歌=人の死を悲しみ悼む歌)で、今でも神道のお墓には、「奥津城」「奥都城」「奥城」(いずれも「おくつき」と読む)と書かれています。

漢字とともに伝わったお墓文化を支える思想

重要なことは、漢字と一緒に中国から「ご先祖様を大切にお祀りする」という考えが日本に伝わったことです。3世紀半ばから7世紀頃にかけて築造された「古墳」(写真上は奈良県天理市の渋谷向山古墳)がその先駆けとされますが、それから千数百年ほど経過し、お墓の多様化・簡素化が進み、少子高齢化に起因する「墓じまい」(お墓の改葬に伴う墓石の解体・撤去)が急増する現代に古墳文化が蘇り、新たに「古墳墓」(昨年9月17日付けの本コラム参照)が誕生したことは、単なる偶然とは思えません。その原点に立ち返ってお墓づくりを考えるべきなのかも知れません。