2025.09.29
日本初の真田山陸軍墓地(大阪市)が危機的状況に
目次
全国に存在する戦争にまつわる慰霊施設
今年は戦後80年ということで、戦争関連の話題を意図的に取り上げています。東京・九段北にある靖国神社は、護国の英霊(戊辰・西南・日清・日露・日中・大東亜戦争など国事に殉難した人の霊)246万6千余柱を祀る神社として広く知られますが、都内には他にも千鳥ヶ淵戦没者墓苑、東京都慰霊堂(2020年9月7日付け本コラム)、東京都戦没者霊苑などがあります。また戦前、「陸軍(または海軍)墓地」が全国に80ヵ所以上つくられましたが、戦後、多くが地元の護国神社や忠霊塔、寺院などに改葬され、その存在すら忘れられようとしています。しかし、その陸軍墓地の中で日本初かつ最大規模の墓地(約1万5,000㎡)が現存します。それは大阪市天王寺区の閑静な住宅街にある真田山陸軍墓地(写真上)です。
日本兵だけでなく、捕虜として亡くなった敵国の病死者も
同墓地一帯はもとの古戦場で、1614(慶長19)年の大坂の冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の出城(出丸)として構築した真田丸跡の近く真田山公園北側にあります。陸軍の中枢機関が明治期に大阪市内に次々と創設されたことに伴って、1871(明治4)年に開設されました。1873(明治6)年の徴兵令以前の士官・兵士から、西南・日清・日露戦争、第一次及び第二次世界大戦までの5,100基以上の墓碑が整然と並び、8,200余が眠る納骨堂も整備されています。ここに埋葬されたのは日本兵だけでなく、物資輸送や下働きとして雇われた軍役夫のほか、日清・第一次大戦でそれぞれ捕虜となった清国兵やドイツ兵病死者の墓碑も建立されています。
放置されたまま風化が進み、いまや危機的な状況に
墓碑の大半が軟質の和泉砂岩製ですが、行政による保全がないまま半世紀以上放置されていたため、現状はかなり風化が進んでいます。補修には1基5万円の特殊なコーティング剤で強化する必要があり、同墓地の維持会が年間50基ペースで補修していますが、劣化のスピードに追いつかず、いまなお1,000基近くが崩壊の危機に瀕しているそうです(元大阪府知事の橋本徹氏も「靖国神社参拝よりも大事なこと」と題して、同墓地を国立戦死者追悼施設にするよう訴えていた)。こうした危機的状況を受けて、近畿財務局が2020年に2,000万円の予算を投入し、70基を補強しましたが、その後、どれくらい進んだのでしょうか。毎年10月には、戦没者の慰霊祭が営まれるほか、ボランティアによる除草・清掃事業などが行なわれています。