2024.12.23
福島の帰還困難区域に見る「お墓」の存在
目次
いまも墓地に残る震災の爪痕
取材で度々東北(東日本大震災)の被災地を訪問しますが、福島(特に避難指示が継続中の帰還困難区域周辺)へ行くと、高速道や街中にモニタリングポスト(空間線量率計測装置)があり、まだ震災が継続中であることを実感します。帰還困難区域は7市町村(約300平方㎞)に及びますが、すでに避難先に定住を決めた人も多く、震災前の居住率を基準にすると、双葉町で1.8%、大熊町6.0%、浪江町13.9%など、原発から20㎞以上離れた飯舘村でも32.5%となっています(2023年10月末時点)。特定復興再生拠点区域内で避難指示が解除されたエリアでは、許可なく自由に墓参できますが、いまなお墓参の形跡が見られない、除染後に横置きにされた状態の墓石がいくつもあり、胸が痛みます(写真上=これ自体が震災遺構といえる)。
被災者が訴える切なる声「せめてお墓だけでも」
浪江町立請戸小学校は、福島県内唯一の震災遺構で、同校を襲った津波の痕跡がそのまま残されています。中に入ると、震災発生前のようす、発生した瞬間、発生直後の避難誘導、津波の到達点(校舎2階の床上10㎝程度)、実際の被害状況などが、避難した児童や教職員(全員が無事避難)、町民らの証言を交えてリアルに紹介されています。同校の近くにあった請戸共同墓地も津波の被害に遭っており、現在は高台に移転し町営大平山霊園として再建されています。「(すでに町外の避難先に定住し)自分は戻れないかもしれないが、せめてお墓だけでも町内に」という浪江町民の切実な声に応えて同霊園が整備されたそうです。請戸小学校には、「失われた町」模型復元プロジェクト(請戸地区)の展示があり、そこには町内の共同墓地も忠実に再現されていました。
心の復興を支える大切な存在
町の復興は少しずつ進んでおり、その象徴となる国営追悼・祈念施設「福島県復興祈念公園」(約50ha)が双葉・浪江の両町にまたがって2026年春に完成する予定です。震災が墓じまい(改葬に伴う墓地の解体撤去)を加速させる一因になったことは否定できませんが、逆に「震災で助かったのはご先祖様のお陰。その故郷を離れるのは忍びない」として、「お墓を大切にしたい」という思いをより強めた人たちも少なくありません。現地へ行って、見て、感じて、初めて気づくことが多々ありますので、時間をつくってでも被災地を訪問されることをお勧めします。