2020.09.07
16万余りの遺骨を安置する東京都慰霊堂
目次
関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊施設として
カレンダーには何も記載されていませんが、9月1日は「防災の日」。この日は1923(大正12)年に関東大震災(マグニチュードは推定7.9~8.3)が発生した日です。発生時刻が昼時のため火災が相次ぎ、それが強風で燃え広がり、東京・神奈川を中心に約10万5,000人が犠牲となりました。東京・両国(墨田区)の横網町公園にある東京都慰霊堂(当初の名称は震災記念堂)はその犠牲者約5万8,000人の遺骨を納めるため昭和5年に建てられたもので、後の東京大空襲(昭和20年3月10日)などによる殉死者の遺骨と合わせて、現在、約16万3,000の遺骨が安置されています。以来ここでは毎年9月1日と3月10日に、東京都慰霊協会によって遭難者慰霊大法要が執り行われています。
神社仏閣のほか、ラテン、キリスト、アラベスク風紋様も
慰霊堂の外観は神社仏閣様式ですが、納骨室のある慰霊塔(三重塔)には中国やインド風の様式が見られます。また平面図は「ラテン十字」と呼ばれる十字架の形になっており、本堂内部はキリスト教会のように列柱を設けて空間を分ける「バシリカ式」で、天井や壁にはアラベスク風(イスラム美術)の紋様も採用されています。設計者は、築地本願寺や豊国廟(豊臣秀吉のお墓)、祇園閣、西本願寺伝道院(旧真宗信徒生命保険本社屋)などを設計したことでも知られる、東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授(工学博士)、伊東忠太氏です。
建物内外の随所に見られる妖怪キャラクター
興味深いのが、その所々に忠太氏が真面目な遊び心で考案した様々な妖怪キャラクターが配置されていることです(鳥や龍、獅子のように見える同様の妖怪は、築地本願寺や伝道院などにも見られる)。本堂や翼堂の屋根上をはじめ、本堂の軒裏や破風板、正面扉内側の上部、慰霊塔の軒裏、同じ敷地内にある東京都復興記念館(昭和6年開設、月曜休館)の上部などに見ることができます。建物は複数の宗教的要素を採り入れた折衷様式とし、その随所に妖怪が配置されていますので、全体としてちぐはぐな印象ではないかと思われがちですが、その厳かな雰囲気を壊すことなく、不思議とマッチしています。皆さんもお参りがてら建物内外の妖怪キャラを探してみてはいかがでしょうか(近くには両国国技館や江戸東京博物館などもあります)。