2021.10.04
今年(令和3年)は2681年?
目次
西暦でも元号でもない、もう一つの紀年法
日本では現在、書類等の日付を西暦または元号で表記するのが一般的ですが、実はもう一つ別の紀年法があります。それは初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする「神武天皇即位紀元(神武紀元)」で、「皇紀」「皇歴」「即位紀元」「日紀」などとも呼ばれています。この紀年法が制定されたのは、政府が太陰太陽暦から太陽暦への改暦を布告した1872(明治5)年で、それまでは年号(和暦)や干支(あるいはそれらの併用)が使われていました。ただし神武天皇即位紀元(以下、皇紀)が多用されるようになったのは昭和期になってからで、戦前・戦中の対外的な公文書などは元号とともに併用されていましたが、戦後になるとほとんど使われなくなりました。ちなみに、大日本帝国海軍の零式海上戦闘機(通称「ゼロ戦」)の名称は、皇紀2600年(昭和15年)に採用されたことが、その由来となっています。
皇紀元年の裏付けを揺るがす『日本書紀』の信憑性
皇紀元年を西暦に換算すると、紀元前660年になります。その根拠は、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』(奈良時代に成立した日本の歴史書)とされますが、初期の天皇の在位年数や崩御時の年齢などに不自然な点が多いため、天皇の系譜と当時の平均寿命などを勘案すると、実際に神武天皇が即位したのは西暦100(景行天皇30)年頃ではないかとも言われています(諸説あり)。
皇紀は今なお現役で使用中
皇紀は今でも、一部の日本史や日本文学のアマチュア愛好家、神道関係者、全日本居合道連盟などによって使われています。奈良県橿原市にある橿原神宮は、神武天皇とその皇后を祀るため、1890(明治23)年、明治天皇により創建された神社ですが、その南神門には今年(令和3年)の皇紀「紀元2681年」が掲げられています。海外でも西暦と異なる独自の紀元があり、イスラム紀元(ヒジュラ太陰暦)、イラン国定暦(ヒジュラ太陽暦)、インド国定暦(シャカ太陽暦)、ジャワ歴(シャカ太陰暦)などがあるそうです(実際はあまり使われていない)。これから神式でお墓をつくられる方は、日本の歴史や文化、愛国心などを後世に伝える一つの手段として、建立年月日などに皇紀を併用されてはいかがでしょうか。