2019.12.20
豊臣秀吉が眠る京都・阿弥陀ヶ峰の山頂「豊国廟」へ
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天国へ続くような長い階段は筋トレにもお勧め!?
戦国大名の三英傑(天下人)の一人、「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」(江戸後期の平戸藩・松浦清藩主の随筆集『甲子夜話』に出てくる川柳)で有名な豊臣秀吉。そのお墓は「豊国廟」と呼ばれる五輪塔で、京都市東山区の阿弥陀ヶ峰の山頂にあります。麓の入り口で参拝ならぬ登拝料100円(小学生以下は無料)を納めた後、拝殿から山頂まで489段の階段が永遠と続きます。往復するだけで30~40分ほどかかりますので、足腰の弱い方はもちろん、夏場に行くのはちょっと大変ですが、観光客の少ない穴場スポットとなっています。
高さ約10メートルの立派な五輪塔とご対面!
秀吉は1598(慶長3)年8月18日、63歳で亡くなりました(死因は不明)。遺命により、阿弥陀ヶ峰の中腹(現在の中門付近)に埋葬され、墳上に祠廟、山麓には社殿が建てられました。しかし1615(元和元)年、豊臣家が滅びると、徳川家康の命により廟と社殿は壊され荒れ果てた状態となりました。その後、秀吉を顕彰する豊国会の呼びかけで、社殿は1880(明治13)年に豊国神社として再建され、1897(明治30)年の秀吉300年忌に際し、山頂には高さ約10メートル、総重量47トンの五輪塔(石種は「備中」産、おそらく北木石と思われる)が建立されました。設計したのは、平安神宮や明治神宮、築地本願寺、湯島聖堂などの設計者として知られる日本建築の第一人者、伊東忠太です。
五輪塔の完成から4年後、整備工事中に発見!!
なお、秀吉と思われる遺体が発見されたのは、五輪塔の完成から4年後、1901(明治34)年のことでした。社殿境内の整備工事の際に、大甕に入った遺体が見つかったのです。遺体は西向きで、腕を組んで座っていました。ただその遺体に関する詳しい記録がなく、遺骨は豊国会の墓誌とともに五輪塔に埋葬されたそうです(江戸時代の史料によると、秀吉の遺体は甕に入っていたとされる)。
ちなみに、広島市東区の不動院(安国寺)に、秀吉の遺髪を納めた供養塔があるほか、山口県山口市の俊龍寺にも、毛利輝元が秀吉の菩提を弔うために建てた供養塔があり、秀吉より拝領した鎧が納められています。また、和歌山県の高野山奥の院には豊臣家墓所があり、秀吉を主祭神として祀る神社も大阪や金沢、長浜、名古屋、小松島、福岡などにあるそうです。