2017.07.14
日本における「墓石」の概念はどこから生まれたのでしょうか?
目次
日本の文献に初めて登場した「墓石」とは?
奈良時代の文官・太安万侶が和銅5年(712年)に編纂し元明天皇に献上された、日本最古の歴史書(神話)が『古事記』(原本は現存せず、最古の写本が名古屋市中区の真福寺にある)ですが、そこには「墓石」の概念を象徴する巨大な岩が描かれています。その内容を簡単に見てみましょう。
千人がかりでやっと動かせる巨大な岩?
同書の上巻は、男女二人の神様が日本列島をつくる「国生み」の話から始まります。男の神様がイザナギの命、女の神様がイザナミの命です。国生みの後、イザナミはさまざまな神様を生みますが、火の神を生んだ時に火傷し、それがもとで亡くなります。イザナギが黄泉国(あの世)で目にしたイザナミはウジ虫だらけの変わり果てた姿でした。それを見て逃げ出すイザナギ、「私に恥をかかせた」と後を追うイザナミ。イザナギが黄泉比良坂までどうにか逃げ切ると、千人がかりでやっと動かせる巨大な「千引石」で出口を塞ぎました。その千引石を挟んで、二人で会話をします。イザナミが「こんな仕打ちをするなら、あなたの国の人間を日に千人殺します」と言い放つと、「それなら、私は日に千五百もの産屋を建てます」とイザナギは応じます。これは「人はいつか死ぬが、日本国は人が増え栄え続ける」ことを隠喩的に表現したもので、さらに話は進んでいきます。
お墓の概念を辿っていくと…
以上の内容から、千引石が「あの世とこの世を遮る境界石の役割り」を果たしていることがわかります。つまり、これが「日本の文献に初めて登場した墓石である」と解釈できるのです。今日建立される墓石の多くは仏教式ですが、そのお墓の概念を辿ると、多くの神社で祀られる神様を生んだ古事記に行き着くことになります。また墓石に限らず、村はずれに立つお地蔵様や墓地の入り口に立つ六地蔵、道祖神、賽の神なども、日常の世界(現世)と異界(あの世、他界)を分ける境界石と同様の役割りを果たしていると考えられます。逆の見方をすれば、境界石が身近に存在するということは、あの世(死)も身近に存在するということです。つまり日本人は古くよりそれを意識しながら暮らしてきたのです。